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    2018/05/20

    自分の生きる道

    さて今回はブログを書き始めてから8記事目ということで少し違うお話をしようかなと思います。

    なぜ8記事目のタイミングなのかというとまず「8」っていう数字が僕すごく好きなんです。8を横にすれば「∞=無限」。この意味もそうなんですが、そもそも形が好きなんです。そして何と言っても元サッカー選手のスティーブン・ジェラードの代表的な背番号でもあり、僕がサッカーを始めたきっかけも彼のプレーを見てあんな風になりたいと思ったからです。それ以来彼がずっとプレーしてきたイングランドの強豪リバプールも大好きです!というかほぼ欠かさず全試合を見るほど大ファンです。そんなリバプールも今年の欧州チャンピオンズリーグ決勝に進出したので最高にテンション上がっています!ぜひレアルマドリードを倒して優勝してほしいです。


    だいぶ話がずれたので戻したいと思います(笑)
    まあ今回は自分の壮絶な人生をみなさんに共有したいと思います。本当に誰にも言ってこなかったことを暴露します。


    幼少時代

    自分は小さい頃から父の仕事の関係でシンガポール、アメリカ、日本と3ヶ国に住んでいました。日本の高校卒業するまでに海外生活8年半、日本での生活が約10年と、普通の人とは違うように育ってきたので実際自分がどこに属しているのか未だにわからないんです。つまり「私のアイデンティティってなんだろう」って感じです。

    転勤族だった僕は、その場所でできた友達とお別れしないといけない、そのことに対して毎回怒りを覚えていました。だから世界中に友達はいるけど、地元の強いつながりのようなものもなければ、本当の親友と呼べる人もいない。
    正直小さい頃は幼馴染とか強い友達どうしのつながりが羨ましかったし、そのようなのがない自分はめちゃくちゃ辛かったです。
    小さい頃から海外の文化に触れてきた僕は、正直日本での生活は少し生きにくかったところがあります。例えば、外国人やハーフの人が少し言動がおかしくても仕方がないという具合に流されることが多いけど、自分の場合はれっきとした日本人だから通用しない。そもそもしっかり日本的感覚を持って当たり前とみんなに思われるんです。でも小さい頃は海外生活のほうが圧倒的に長かったので、どうしても自分の思考回路は日本的ではなかった。
    そうすると「こいつ生意気だな」とか「空気読めないな」とかいろいろ言われ、その度に言い争いになったりと。日本で人と違う変わった意見を言うと何それ扱いされたり、自分の意見を強く主張すると、自己中心だとか思われたり。正直キツかったです。日本では個人主体に考えるのではなく、常に組織をまず中心に考えているところにどうしても理解ができなかった。例えば、中学、高校とかでよく見られる、長い髪はダメだとか、短いソックスはダメ、靴の色指定、バッグ指定、本当に決まり事が多いですよね。何から何まで干渉されて、自分の大事な個性が失われていく。十人十色ではなく、十人一色になってみんなと同じに色に染まっていくのが受け入れられなかった。でももし日本でずっと育ってきたらこんなことなんか当たり前だと思い何も不満はなかったんだろうなと今思います。


    日本のルール

    日本って細かいルールやたらと多いですよね。こっちの人はいい意味ですごく寛容。これは前にも少し触れたことがあるんですけど、日本の上下関係は今でも理解できなければ、とても不思議でしかしょうがない。もちろんある程度歳が離れていたらリスペクトするのは当たり前だけど、歳が2、3つごときで態度を180度変えないといけないのはどうかなと思います。学校の部活動を例にとってみると、2、3年生が1年生をこき使う。ボール磨けだの、水持ってこいだの、チーム用具運べだの、雑用はほとんど全て1年生がやるんですよね。
    みんなで使うものなんだから年齢関係なくみんなでやればいいのにってすごく思うんです。歳が1つ2つ違うだけで、天と地みたいな関係、そんなんでチームスポーツとか無理じゃないですか正直。海外ではもはやそんな年齢差なんて関係ないし、むしろみんなで一緒にやる。だから平気で冗談を言えるし、みんなでワイワイした雰囲気がある。なんでも思ったことは言い合える関係にあるし、何よりもみんな別に年齢どうのこうの気にしない。
    日本もこうあるべきだと非常に思うんです。先輩気取りしているのって本当にカッコ悪いし、「お前なにもやらないならやるな」って感じですね。

    病み期

    実は僕、高校受験、大学受験ともに第一志望校に残念ながら落ちました。高校受験で第一志望校に落ちていたので、大学受験こそはと思っていたのに、結果は受けた4つの学校全てに落ちたんです。居場所がなかった。受験シーズン、自分の周りが遊んでいる中、自分は遅くまで勉強したり、そこそこの時間を犠牲にしてきたのにこの結果には正直涙しか出ませんでした。友達は第一志望校に合格してたり、次のスタートを切ろうとしている中、自分は家の中でひたすら泣いていました。誰にも知られたくなかったから、ずっと家にいて、ほぼ引きこもり状態でした。友達に会う顔がなかった。
    そして母は自分のことのように一緒に泣いてくれて
    「大丈夫だよ、前に進もう」と言ってくれたり、
    父はあえて何も言わなかったけど、
    「まだまだお前はそんなもんじゃない」っていうのが感じとれて、正直自分は家族にすごく迷惑かけている存在だなと思いました。
    「なんで自分はこんなに不幸なことしかないんだろう」
    「なんで自分の努力は報われないんだ」
    とずっと神様に心の中で言っていました。
    合否が出てからの半年間くらいはめちゃくちゃ辛かったし、人間やめたいと本気で思っていました。だからほとんどの人とコンタクトは取っていなかったし、死んだ説まで出ていました。
    そんな僕にもある転機が…

    いったん外に目を向けてみる

    ある日、いつまでも泣いていたり、引きこもりでアクションを起こさなければこのまま終わるなとふと思ったんです。いったん冷静に考えた時、自分には海外に長く住んでいたバックグラウンドがある、今までは海外に住んでいたことが先ほども書いたようにすごく嫌だったんですが、よくよく考えたらそれは自分の武器なんじゃないのかって思ったんです。それからは早かったです。普通の日本人よりは英語ができたので、それなら海外の大学に行こうと思いました。まずは留学斡旋業者を探して、説明会に行ったりしたけど、ほとんどがアメリカ、イギリス等を中心とした英語圏の大学ばかりで、いまいち自分に刺さるのはなかった。またバカにならないくらい学費が高かったんですよ。
    僕の両親は学費が高いところでも、
    「しっかり勉強して立派になれるんだったらお前に投資してやる」
    って言ってくれたんですけど、いつも期待を裏切っていたのもあり、もうこれ以上親には迷惑をかけたくなかったので、絶対安いところ行ってやろうと必死でした。そうなると必然的に英語圏の大学は消えるんですよね。もうヨーロッパの大学しかなかった。しかもヨーロッパの大学って日本語の情報が全然ないんですよ!でも僕にはヨーロッパの大学は魅力的にしか感じなかった、というのも小さい頃からサッカーが好きだったし、もう一つの言語も習得しやすい点でもうヨーロッパの大学に行ってやろうと決めました。
    すべて自分で英語プログラムがある大学を一から探して、自分の予算に合う大学を絞り込み、出願しました。そして合格してからは、ビザ関係、住居まで全部自分一人でやってやりました。めちゃくちゃ大変だったけど、今思うと英語力とか行動力はめちゃくちゃアップしたと思います。

    留学斡旋業者に頼るな

    これは自分の体験ですけど、基本的に留学斡旋業者って自分たちの提携している大学をやたら紹介しようとしてくる。はっきり言って自分で大学のホームページを読んだり、英語の文献が読めない、面倒くさいという人は留学は諦めたほうがいいと思います。お遊びの留学ならまだしも僕みたいに正規留学となると、絶対ついていけなくなるので。外国ってそもそも留学斡旋業者なんてないみたいなもんで、みんな自分で探して大学に直接アプライしてくるんですよ。それなのに日本にはたくさんの留学斡旋業者がいて、日本人はそれに頼りきる人がほとんど。まあだから留学ってビジネスとしてはまだまだ需要がある分野なんですよね。いろいろな人に「全部自分でやってスゴイね」って言われるんですけど、そもそもそれを当たり前にできないとやっぱりこっちでついていけなくるし、海外生活なんてやっていけないです。今の僕の状況も正直怪しいです。もっと努力しないとついていけなくるんですよ。

    自分の生きる道

    正直自分がこの先どんな人と出会い、どんなことしているかなんて全く想像つかないけど、絶対に"BIG"になってやるというのはあります。てかなります! ここに宣言します。
    そしてこの3つだけは常に大切にしたいです。

    • 目の前のことを全力でやること
    • 何事もチャレンジすること
    • 出会った人を大切にすること

    今こうやって海外留学をして毎日貴重な経験ができているのも、自分一人の力だけでは絶対に成しえていないものであって、家族の支援、自分を応援してくれる人がいるからこそ成り立っているものです。それを忘れずに自分が今度大きくなった時にしっかり恩返しできるように毎日を無駄にせず、いろいろ経験したいと思います。

    今年21歳、今こうして私、鍋島光喜が成り立っているのも今まで自分と関わってくれた人たちがいるからです。本当に数え切れないほどいろいろな人と出会ってきて、その分だけ自分も大きく成長しました。

    そして今まで迷惑しかかけてこなかったバカ息子を、常に信じて、自分のやりたいことを全力で応援してくれる両親には本当に感謝してもしきれないです。鍋島家として生まれて本当によかった、そして誇りに思います。
    高校時代に「こうきがサッカーで活躍している姿が見たいな、見に行ってもいいか」と両親にずっと言われてきたけど、思春期恥ずかしさもあったり、なかなか試合に絡めず、3年間を通して1、2回しか自分がサッカーしている姿を見せれなかった。
    親孝行らしいこと何一つまだしてあげられていないけど、今回ベルギー5部のチームと来季契約したので、両親をベルギーに呼んで、今度こそは自分がピッチで元気よく駆け回っている姿を見せたいと思います。

    NIP ON GIN

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